国の「重要有形民俗文化財」指定(2009年3月11日)
三宅八幡神社奉納子育て祈願絵馬124点
「三宅八幡宮」では、絵馬堂の整理に際し、大絵馬が大量に発見され、2001年4月に京都市の有形民俗文化財に指定されていましたが、今回、国の重要有形民俗文化財に指定されることになりました。
1950年(昭和25年)に制定された文化財保護法では有形文化財のジャンルのひつである民俗資料とされましたが、1954年(昭和29年)の改正にて、民俗資料を有形文化財から分離独立するとともに、民俗資料の概念が法令上定義され、有形民俗資料のうち特に重要な物ものは「重要民俗資料」として指定され、1975年(昭和50年)の改正では、重要民俗資料は重要有形民俗文化財とされました。2017年(平成29年)3月3日現在、220件が指定されています。
幕末から明治期にかけて神社に奉納された大型の扁額絵馬群は参詣行列や参拝風景が多く、育児や成人習俗、時代性や地域性が窺える貴重で類をみない民俗資料であるされています。
画題の多くは、多数の人々の描かれているリアルな参詣行列や参拝の姿から、大型絵馬となっていった必然性に加えて、描かれている人々が奉納する側でありクライアントであるのではないかさらに、事前に絵師とのコミュニケーションがあったのでは、との可能性が高いと言われております。
これらから新しい時代の一般の人々の意識の変化も窺えるのが、従来には見られなかったこれらの絵馬の特徴であるされています。
京都市「有形民俗文化」財指定(2001年4月1日)
三宅八幡神社奉納育児・成人儀礼関連絵馬133枚
「三宅八幡宮」では、数年前、百年ぶりに行われた絵馬堂の整理に際し、大絵馬が大量に発見され、京都市の有形民俗文化財に指定されています。
俗に虫八幡ともいわれる「三宅八幡宮」は、子供の「かん虫封じ」の神として信仰を集めてきました。地元の伝承では、もともと「田の虫除け」の神であったが、後に「子供の虫除け信仰」に移ったとされています。
詳細はあきらかではありませんが、幕末から明治にかけて信仰が拡大し、京都市内と南近江を中心に、山城、摂津、そして北河内、大和までを含む広範囲に及んで信仰が広がったといわれています。
幕末から昭和初期までの間に奉納された大絵馬のうち133点の絵馬が「子供のかん虫封じ」を中心に「育児習俗」および「十三参り」などの成人儀礼に関連したものです。なかでも幕末から明治30年代にかけて奉納された、「かん虫封じのお礼参り」の参詣行列を描く絵馬群がよくまとまっており、描かれる人数の最多のものは638人が描き分けられています。
「行列に参加する人物」それぞれに個人名が記された付箋が貼付されている他、服装や子供たちの遊び方などの風俗が克明に描き分けられています。
本絵馬群は、時代性や地域性が窺える好資料であるとともに、育児・成人習俗というひとつのテーマに沿った絵馬としては、質量とも類をみないものであると高い評価を受けています。